「記録写真」と「作品」の違いから理解する3つの基本概念
フォトグラファーの意識
目次
写真には3つの機能的効果が備えられています。「記録」、「伝達」、「表現」です。ひとつひとつの意味を理解することでフォトグラファーとして撮影に対する考えを学び深さが得られると考えます。そこで全てのフォトグラファーが知っておきたい3つの基本をご紹介します。これらの基本を頭に入れて撮影をしてゆけば今までと全く違う反応を得られるようになるでしょう。
1.記録写真と作品の違い
人々の知りたい情報を的確に伝える報道写真(フォトジャーナリズム・グラフジャーナリズム)は記録と伝達の要素から成り立っています。物事は多面的であり真実は複数ある可能性があるゆえ、カメラマンは自己の主張を含めることもできますが真実を写すことが求められます。そこには表現は求められていません。写真の基本は「記録して伝える」なのです。
記録写真 / Documentary Photo
ドキュメンタリー・フォトともいう。伝達媒体にかかわりなく,事実を客観的に描写し,内容的に資料的価値をそなえた写真。しかし記録写真はしばしば大衆に社会的現象の本質を啓蒙し宣伝する役割も負わされている。
報道写真
報道写真(ほうどうしゃしん)とは、主として印刷媒体での報道に際して、報道内容を視覚的に伝えるために用いられる写真のことをいう。 報道写真を撮影する写真家はフォトジャーナリスト(英: Photojournalist)と呼ばれる。
1-1.Google+フォトグラファーによる参考になる写真の考察
フォトグラファーに人気の高いサービスを提供していたGoogle+では、写真を楽しみながら生まれた考えを問いかけてくれる貴重な方達がいました。カメラの先輩として先人たちの考察はとても興味深く役立つはずです。
撮り貯めた写真を
ずらっと眺めてると記録が記憶になっていくのが実感として分かる。写真の本質的役割はやはり記録だな、と。
(koji asa Photographer – Google+)
もともと記録写真がメインだから
仕方ないんだけど写真に説明ありすぎ、こんな風に全部写さない方が心に残るね、記録的な写真は撮ってる時は楽しいけどまず後で見返さない、脳に焼き付いた写真は何度見ても楽しいもの、そう毎日飲むウイスキーのようにね。そんな写真で飲みたい酔う。
(Matsuzaki Pine Photographer – Google+)
2.表現としての写真 (心で写す被写体)
真実と事実の違い
写真といえば真実を写すものという捉え方が多い。確かに、カメラは撮影したものを的確に写すことができる機械ではありますが真実とは言えません。そこには限界もあります。なぜなら、どのような高性能なカメラも私たちの眼には勝てないからです。
例えば、明度差が激しい室内から撮影する室外の窓や、逆光の太陽をフレーミングに入れて撮影する状況では、肉眼とカメラでは映せる世界が異なります。私たちの眼はそれだけ高性能なのです。
それゆえ、スナップや風景写真であっても、伝える力を磨くためには色味の調整などが必要になる場合もあるでしょう。主観的に現像や加工合成をしているから良い悪いということではないのです。
芸術写真
芸術写真(げいじゅつしゃしん)とは、一般的に、記録、証明等のためではなく芸術作品として撮影された写真のことである。 ただ、日本の写真史においては、1900年頃から1930年代にかけてを中心とする、絵画的な写真表現(ピクトリアリスムとほぼ同義といってもいい)を意味することが多い。
現代アート
現代アートとは、大変説明が難しい美術ジャンルである。現代美術、コンテンポラリーアートとも。現代アート定義するのは難しく、「現代アートとは何であるか」と問うよりも、「伝統的・古典的なアートではないアート」という裏返しの定義のほうがイメージがしやすいかもしれない。
2-1.ギャラリーを経営するオーナーの参考になるアートフォトの考察
アートフォトギャラリーを経営しながら写真を愛する1人の先駆者はどのように表現としての写真を捉えているだろうか。より詳しく知りたい方は是非、下記の参考URLを拝見してみて欲しい。
アートフォトの未来について
世界に名だたるカメラメーカーのほとんどが日本にあるのに、世界で活躍できるフォトグラファーは未だ少ない。そもそも日本にアートフォトとしてのマーケットも極端に少ない。これは国民性なのか、そもそも需要が無いのか、それとも写真家のレベルが低いのかは定かではない。そして更に付け加えれば、写真を扱うギャラリー自体も少ない。これは写真をこよなく愛するギャラリストとしては、実に淋しい日本のアートフォトの現状だ。
3.写真の評価方法を考察
一体どのような写真こそ素晴らしいものなのでしょうか。その確かな答えはなかなか見つかることがないと考えます。なぜなら、写真の価値を判断する材料は山ほどあるからです。時間軸を過去・現在・未来に置くかだけでも大きく評価は変わってきます。公募展やコンテストなどでも、選者によって一枚の作品の価値は変わってくるものです。
ゆえに、評価は暫定的なものです。記録写真だから優れている表現としての写真だから優れていないということはありません。例えどのような評価でも、私たち写真家は自信を持って撮り続けることが大切なのです。それが写真家らしい時間の進め方です。
これからの撮影者としてのものの見方は、「近未来と今から考察する写真作家(フォトアーティスト)の役割」をご覧ください。そう遠くない未来に、カメラはもっと簡単で誰もが扱える手軽な存在になるのだろうと思います。
最後に
ここでご紹介した3つの写真の特性はどれも簡単に理解できるものですが抑えておくと非常に効果のあるものです。筆者は人の写真を批評できる立場にないと考えているため良い部分しか伝えませんが、写真の様々な側面を知っておくと違う考えで撮影している人も認めてあげることができます。自分と違うからと否定する必要がないですし、良い部分を見てあげることができるのです。すなわち、知恵を身に付けることで写真家同士の人間関係も円満に進めていくことができるということですね。
新井竜則
ある友人と一般公募作品と写真雑誌による月例作品とで
論争(大げさですが)になりました。その友人によると
一般公募の質が高く、月例写真を低く見ているようです
私も月例写真に応募しているアマチュアです
写真とは、記録し作者としてのイメージを表現するもので
一般公募とか月例とか考えていません
記録した写真が自分のイメージで伝える事だと理解しています。上下はないと思っています
どんな応募であっても、その評価は応募先の選者による
この記事を見て写真に上下はなく自分のイメージを記録し
伝えていくことを再認識しました
いろんな写真展など見てその作者の表現などを学ぶようにしています。プリントされたものが写真と理解してます
ありがとうございました。
Masahiko Futami
新井様
貴重なご意見を頂きましてありがとうございます。新井様が仰る通り人それぞれ考え方は十人十色・百人百様・千差万別ですね。私も「○○のやり方こそ正解だということや○○の写真家の方が上下である」ということは無いと考えております。同じ想いを共有させて頂きありがとうございます。これからも写真に楽しく触れ合っていければ良いですね。良いお年を。