日本人に備わる空間的な「間(ま)」と余白の美学
シンプルに
目次
単純であること。日本の芸術や文化における特徴の1つとして空間的な「間(ま)」や余白の美しさがあります。この表現方法を理解できるようになると、作品の中に余韻や余情を醸し出すことができます。人目を引く認知度の高い被写体や派手な色や複雑な写真ばかりが良いとは限りません。なぜなら、時代が移り変わっても人の心は変わらずにシンプルなのですから。
芸術家 レオナルド・ダ・ヴィンチの名言
シンプルさは究極の洗練である。 / Simplicity is the ultimate sophistication.
秋ひらり
夕暮れに
ママと
鏡面反射
木の芽時
余白の存在
余白とは、何も描かれていない表現されていない場所と感じられてしまうことがあるかもしれません。筆者も隅々まで見事に計算された構図の写真は魅力的に感じますが、空間的な間(ま)や余白が残されている写真の方が、受け手に心の余白も用意されているようで、余韻や解放感を与えてくれる印象を受けます。残された隙間や空間がそう感じさせてくれる表現となるのだろうと思います。日本人の感覚として、この余白の存在は貴重な価値観だと感じています。
西洋と東洋の価値観の違い
20代の頃から写真家として国内だけではなく世界へと作品を届けてきました。その中で感じることは西洋と東洋では鑑賞者(受け手)の捉え方が異なるということです。おそらく、西洋の方は「一輪の花」よりも画面いっぱいの「何千本の花」が咲き誇っている方が美しく感じるのだろうと思います。空白の美しさを感じられる私たち日本人には、「散り際の美学」や「未完成の美」など日本人特有の美意識があります。
日本の写真家としての感覚を
西洋と東洋には異なる美意識や価値観があります。これからはインターネットとスマートフォンの普及により遠く離れた国に暮らす者同士でも、個々で混ざり合い価値観を共有させていくことができます。
日本人には繊細で奥ゆかしい感覚がありますが、日本の町並みはネオンや電柱など雑然としているのが課題点です。中世の面影を残すヨーロッパの町並みには優れた美意識を感じることができます。互いの物事の見方や価値観を理解しながら、今後も日本人の写真家としての観点や見解を意識して伝えていくことができれば素敵ですね。
最後に
日本人は落語や漫才などの話談が好きですね。漫才やトークで重要なのは間(ま)だという話を聞いたことがある方も多いことと思います。間(ま)とは台詞と台詞の間の時間の事を現します。間の取り方が熟練していると、より面白さが増えると言われています。この考え方は写真にも当てはまるということですね。空白や余白には美がある。もし、あなたがそう感じてくださったのであれば喜ばしい限りです。
はじめまして
はじめまして
検索エンジンで「余白の美学」で検索すると
貴殿のサイトへたどりつきました。
きっかけは、私の文章は直接的でないと指摘されたためで
例えば「淡い桃色の小さな花が・・・」とどんな桜の花か
はっきりと書かないため、はっきりと示してほしいという人もいたりするようですが
私はあえて「余白の美学」として読み手が思う花の姿を心の中に自由に描いてもらおうとしています。
Masahiko Futami
メッセージを頂いて作家さんの中にも、文章に「余白の美学」を探求している方がいることに気付きました。日々、変化していくことを楽しまれながらも、読み手の思う花の姿を描いてゆくことができれば素敵ですね。学ばせて頂きありがとうございます。